東京高等裁判所 昭和28年(行ナ)41号 判決 1956年5月29日
原告 堀省一朗
被告 特許庁長官
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は、原告の負担とする。
事実
第一請求の趣旨
原告訴訟代理人は、「昭和二十八年抗告審判第七三二号事件について、特許庁が昭和二十八年九月三十日にした審決を取り消す。訴訟費用は、被告の負担とする。」との判決を求めると申し立てた。
第二請求の原因
原告訴訟代理人は、請求の原因として次のように述べた。
一、原告はその発明にかかる「亜硫酸ガスの処理法」について昭和二十五年十月四日特許出願をなしたところ(昭和二十五年特許願第一二、九三一号事件)、昭和二十八年四月六日拒絶査定を受けたので、これに対し同年五月十一日抗告審判を請求したが(昭和二十八年抗告審判第七三二号事件)、特許庁は、同年九月三十日原告の請求は成り立たない旨の審決をなし、その謄本は、同年十月六日原告に送達された。
二、審決の要旨は、次のようである。
原告の出願にかかる発明は、亜硫酸ガスを接触的に酸化して硫酸を製造する工程と、この工程における未酸化亜硫酸ガスを水及びアンモニアに吸収せしめて亜硫酸アンモニウム溶液を得る工程と、該亜硫酸アムモニウム溶液を酸化して硫酸アンモニウムを製造する工程との結合を特徴とする亜硫酸ガスの処理法を以て要旨とするものである。
原査定においては、右原告の出願発明の各工程は、いずれも本件出願前公知であり、また「硫安技術」一九四八年第一号第八頁から十一頁までに、亜硫酸アンモニユウムを酸化して硫安となすこと、及び接触硫酸との関連において、これらの操作を行えば有利であるという工程の結合についての記載がある以上、本願はこれらの公知事実から容易になし得る程度のものと認められるから、特許法第一条の特許要件を具備していないものと認定した。
抗告審判請求人(原告)は、本件発明は、査定引用の刊行物における数行の記載から、その容易になし得ないものであることを主張するが、右刊行物に、「接触硫酸との関連は、接触廃瓦斯中の亜硫酸の利用率向上に利用されると同時に、廃瓦斯除害問題が解決される。」と記載されていることから「接触硫酸の製造と連関させて、亜硫酸アンモニウムを酸化して硫安を製造する方法を実施することが有利である。」という事実が、本出願前公知に属するものと認める。接触硫酸製造法において、亜硫酸アンモニウムは排出される未酸化亜硫酸ガスを水及びアンモニアに吸収させることにより得られるものであることが、夙に広く知られているものであるから、このようにして得られる亜硫酸アンモニウムを酸化して硫安にすることにすぎない本願は、前記の公知事実より当業技術者が容易になし得べき程度のもので、発明を構成するに至らない。
三、しかしながら、右審決は、次の理由によつて違法であつて、取り消さるべきものである。
(一)、本件発明は、審決にいうように三工程を綜合することを特徴とするものであつて、亜硫酸ガスを接触的に酸化して硫酸を製造し、その際排気中に出て来る極めて稀薄で、普通にはその利用が困難であり、廃棄にも悩む未酸化の亜硫酸を利用して、硫酸アンモニウムを製造するものであるから、亜硫酸ガスはあますところなく硫酸及び硫酸アンモニウムとなつて利用される。従来亜硫酸ガスを接触的に酸化する際には、排気中に未酸化の亜硫酸ガスが残存し、この亜硫酸ガスは極めて稀薄なものであるから、これをそのまま硫酸の製造に利用することは困難で、普通にはこれを廃棄するが、その廃棄に当つては、煙害を及ぼさないように中和しなければならないので、そのために余分の経費を要する。この不経済を免れるため廃亜硫酸ガスの利用に関しては、種々考慮されているが、未だ工業的実施に適すべき名案もなく、偶々特許第一一七、〇三八号の発明が実施されている位のものである。
しかしこの特許発明は、排気ガス中の亜硫酸ガスをアンモニア水で処理して酸性亜硫酸アンモニウムを得、これを硫酸を使用して分解し、濃厚な亜硫酸ガスを再生し、これを接触硫酸の原料として使用するものであるから、結局そのために使用される硫酸が余分に入用であることになり、全体として硫酸の製造量は増大し得ないものである。
これに対して、本件発明においては、
(1) 排気ガス中の亜硫酸ガスを水及びアンモニアに吸収せしめ、亜硫酸アンモニウムを得てこれを酸化して、硫酸アンモニウムを製造するものであるから、前記方法における如く硫酸の消費を来たすことなくして、排気中の亜硫酸ガスは悉く硫酸アンモニウムとなすことができ、煙害問題が解決されるの利益がある。
(2) 本件発明を利用すれば、亜硫酸ガスを接触的に酸化し硫酸を得る場合に、該亜硫酸ガスの送入速度を増大せしめ、硫酸の強力運転製産を行つても、その酸化能力を大して低下せしめることなく、その際排気ガス中の未酸化亜硫酸ガスからは硫酸アンモニウムが製造されるのであるから結局一方においては硫酸アンモニウムを製造しながら、接触硫酸製造設備の可動率を高め、硫酸の生産量を著しく増大せしめ得る。このことは工業的見地よりして極めて重大な効果であり、公知の特許発明からは望み得ない。何となれば本件発明においては、亜硫酸ガスの接触酸化による硫酸の製造に強力運転を行つても、その際廃ガス中の未酸化亜硫酸ガスからは、硫酸アンモニウムが製造されるものであるから、接触硫酸製造設備の可動率を高め、硫酸の生産量を著しく増大せしめ得るものであるが、公知の特許発明においては、接触硫酸製造の強力運転を行えば、その際の廃ガス中の未酸化亜硫酸ガスを吸収せしめて後、その再生に硫酸の添加を必要とする故、それだけ硫酸の生産量が制限されるからである。
(3) 更に本件発明は、これを接触硫酸より硫酸アンモニアを製造する工場において実施する場合には甚だしく有利であつて、相当割合に多量な硫安が蒸発燃料費を必要とすることなく得られる利益もある。すなわち本件発明においては、硫酸アンモニウムの約四〇%の溶液が得られるので、この溶液を接触硫酸を使用する中和法硫酸アンモニウム飽和槽に導入すれば、多量の硫酸アンモニウムが蒸発燃料を要することなく得られる結果となるのである。
(二)、従来亜硫酸アンモニウム水溶液を酸素で酸化することは、容易なことでなく、その工業化は全く不可能であつたが、原告は、永年研究の結果、漸くこれを満州化学工業会社において工業化したものであり、その後世界の何処にも工業化されておらず、また満州化学工業会社において実施していることについては、公にして来たが、その内容は未発表のままであつて、業者が亜硫酸アンモニウムの酸化を工業的に容易に実施し得る程度の詳細度において発表したのは、昭和二十七年九月二十八日発行された「亜硫酸法による硫安の製造」(日本硫安工業協会技術資料第四輯)においてなしたのが始めである。
亜硫酸ガスを接触的に酸化して硫酸を製造する際、その廃ガスは僅々〇、五%というような稀亜硫酸ガスであり、かかる稀薄亜硫酸ガスを有利に回収し得るかどうか、硫酸吸収塔で吸収されなかつた特殊形態の三酸化硫黄を含む回収酸性亜硫酸アンモニウム水溶液が容易に酸化し得るや否や等種々の技術上の困難が存在した。本件発明の第二工程における未酸化亜硫酸を水及びアンモニアに吸収せしめた亜硫酸アンモニウム溶液には、前述のような特殊形態の三酸化硫黄を含有し酸性度も高く、極めて酸化には不都合なものであるので、それが酸化され易いように、溶液組成を調整する必要がある。本件発明者は、これらの諸点につき種々工夫を凝らし、亜硫酸アンモニウム水溶液酸化の現象を十分把握し、漸く本件発明に到達したものである。
(三)、このように本件発明は、その各工程を結合施行するまでには、並々ならぬ苦心研究の努力が払われ漸く達成せられたものであり、その結果絶大な工業的効果を挙げ得べからしめたものなるに対し、審決は、引用刊行物における前述のような僅か数行の簡単な記載から、本件発明が当業技術者が容易になし得べき程度のもので発明を構成するに至らないと認定されたのであるが、引用例の何処に、前記本件発明における接触硫酸設備の可動率を高めるに利用することの利益について述べられたるや、また相当割合に多量な硫安が蒸発燃料費なしに得られるるの利点についての記載、はたまた前記技術上諸難点の克服に資すべき記載は、引用例の何処にありや、引用例中にはこれらの諸点に関しては、全然なんらの記載も存せず、またこれらを暗示するに足るべき記載の片鱗だも窺知し得ない。
引用例中には、亜硫酸アンモニウムを酸化して硫安となすことについては、かなり詳細に記載されているが、接触硫酸の廃ガス中の稀薄亜硫酸ガスから得られた亜硫酸アンモニウムを酸化して硫安を得ることについては全然記載せられておらず、従つて引用例中の「接触硫酸との関連は、接触廃瓦斯中の亜硫酸の利用率向上に利用されると同時に、廃瓦斯除害問題が解決される」なる簡単な記載を以て、本件発明を容易に実施し得べき程度において記載されたものとはなし得ない。
審決の認定は、全く本件発明を知悉したる後において、その先入知識を以てし、本件発明の構成を否認的態度を以て解釈し、引用例中の記載より本件発明を誘導推論してなされたものであつて、その認定は妥当を欠き、この失当な認定のもとに立つて本件発明が特許法第一条の規定する特許要件を具備しないとしたのは、特許法の解釈を誤つた違法があるものである。
(四)、本件発明において、「工程との結合を特徴とする」と記載したのは、第一工程、第二工程及び第三工程を単に羅列的に湊合実施するものではなく、接触的に硫酸を製造する第一工程に対して、第二工程を不可欠的に結合施行し、この第二工程における亜硫酸アンモニウム溶液を得るに際しては第三工程における酸化が効果的に行われるように、亜硫酸ガスの吸収と溶液組織の調整を行うものであつて、このことは第三工程を結合施行するための要件をなし、かくして得た亜硫酸アンモニウム溶液に対して、酸化手段を結合施行し、硫酸アンモニウムを製造する一連不可欠の結合的亜硫酸ガスの処理方法を意味せんがためである。
このことは本件発明の明細書の記載を添付図面と対比して考察すれば明白となるところであるが、本件発明の要旨を、次のように表現すれば、誤解を生ずることなく、一層明白となる。すなわち「亜硫酸ガスを接触的に酸化して硫酸を製造する工程と、該工程における未酸化亜硫酸ガスをアンモニア及び亜硫酸を含む水溶液に吸収せしめ、この吸収後液を酸化に好適な組織に調整して亜硫酸アンモニウム溶液を得る工程と該亜硫酸アンモニウム溶液を酸化して硫酸アンモニウムを製造する工程との結合を特徴とする亜硫酸ガスの処理法」とする。これが本件発明を特許請求範囲に記載せる事項のみに膠着することなく明細書全体の記載を通じて判断し、その真実要旨を把握して解釈した場合の要旨である。かくすれば本件発明は、特許第一一七、〇三八号の方法と異るものなるはもちろん、引用刊行物に記載せる方法とも明らかに区別し得るものであり、本件発明が、右刊行物に容易に実施できる程度において記載されたもの若しくはその記載より容易に実施し得べきものということはできなくなり、本件発明は新規の発明として、特許法第一条に規定する要件を具備するに至る。
(五)、本件発明はその明細書全体の記載を通じて判断すれば、右に述べたように、明らかに発明構成が認められるのにかかわらず、そのことをなさず単に特許請求の範囲に記載された事項にのみ膠着して判断し、本件発明の構成を否認し去つたものでその非は明らかである。
若し仮りに特許請求の範囲の記載にして不適当なりと認められるならば、特許法第七十五条の規定を活用し、明細書中詳細なる説明の項中の記載から判断し、引用例中の記載との区別を明らかにして、本件発明を特許すべきものとするのが適法である。特許法第七十五条中異議申立の結果による審査官の訂正命令に関する規定は、異議申立の理由が明細書の訂正により解消し得て発明構成が認められるような場合には、訂正命令を発すべきを規定し、発明を助長すべき精神に出でたものと解すべきを至当とするから、本件の場合も若しその特許請求範囲の記載にして引用刊行物中の記載と紛わしい惧れありとするならば、前述のような内容にて訂正命令を発せられ、本件発明を特許すべきと認定すべきであつた。しかるに審決はこの当然とらるべき本件発明の救済を講ずるの挙に出でず、あたら有益な本件発明を葬り去つたものであり、この点からしても違法であるといわなければならない。
第三被告の答弁
被告指定代理人は、主文同旨の判決を求め、原告主張の請求原因に対して、次のように述べた。
一、原告主張の請求原因一及び二の事実は、これを認める。
二、同三の主張は、これを否認する。
(一) 原告の挙げた公知の第一一七、〇三八号特許発明は、「亜硫酸ガスを接触的に酸化して硫酸を製造し、その際の廃ガス中の未酸化亜硫酸をアンモニア及び水で処理し、亜硫酸アンモニウム溶液を得、次いでこれを硫酸で処理して亜硫酸ガスに再生し、接触硫酸の原料に供する」ものである。いま右公知の特許発明と本件の発明とを比較してみるに、両者は互に「亜硫酸ガスを接触的に酸化して硫酸を製造し、その際排気中に出て来る未酸化亜硫酸を水及びアンモニアに吸収させて亜硫酸アンモニウム溶液を得る」点において全く一致し、ただこれに次ぐ工程において、前者が「亜硫酸アンモニウム溶液を亜硫酸ガスに再生する」のに対し、後者が「亜硫酸アンモニウム溶液を酸化して硫酸アンモニウムとする」点において異るに過ぎない。
そして原告主張(1)の「硫酸を消費することなく接触硫酸製造の際排出される廃ガス中の亜硫酸を悉く硫酸アンモニウムとし、煙害問題を解決すること」及び(2)の「硫酸製造設備の可動率を高め、硫酸の生産を増大すること」の効果は、広く一般に「接触硫酸の製造に際し、廃ガス中の亜硫酸を回収する措置を構ずること」により挙げ得るものであることは、技術上顕著な事実であり、前記特許発明も当然右の効果を生ずることは、右特許の明細書の記載により明らかなところである。
次に(3)の「接触硫酸から硫酸アンモニウムを製造している工場において本発明を実施すれば、多量の硫酸アンモニウムと蒸発燃料費を要することなく得られる」効果は、一般に亜硫酸アンモニウム溶液を中和法による硫酸アンモニウムの製造において、硫酸の稀釈に用いる場合に、当然生ずる既知の効果であるばかりでなく、本件発明は、中和法による硫酸アンモニウムの製造において、接触硫酸の稀釈に亜硫酸アンモニウム溶液を用いることを要旨とするものではないから、本件発明の直接の効果ではない。
これを要するに、原告が本件発明の特異の効果なりとして主張するところは、いずれも本件発明の構成にあずかる一部分の既知の技術手段に由来する既知の当然の効果であり、また本件発明の要旨を逸脱した他の別個の既知の技術手段に由来する既知の当然の効果であつて、本件発明の特異の効果ではない。
(二) 原告は、請求原因三の(二)において、本件発明は接触硫酸廃ガス中の稀薄な亜硫酸をいかにして有利に回収するか、また硫酸吸収塔で回収されなかつた特殊形態の三酸化硫黄を含む回収亜硫酸アンモニウム溶液をいかにして容易に酸化し得るかを解決したものでないと主張しているが、この点は本件発明の要旨とするところでないばかりでなく、その具体的技術手段については、本件明細書中の何処にも見出し得ないので、右の主張は本件発明の審理に全く無関係な事項であり、審決がこれに論及しなかつたのは当然であるばかりでなく、本訴において取り上げらるべき筋合のものでもない。
(三) 原告はなお引用刊行物には、前記の(2)(3)の効果及び前述(二)の技術手段並びに「接触硫酸廃ガス中の亜硫酸から得られた亜硫酸アンモニウム溶液を酸化して硫酸アンモニウムを得ること」についての記載がないから、本件発明は、前記刊行物に容易に実施し得る程度において記載されていないと主張するが、(2)(3)の効果については既述のとおりであり、また前記(二)の技術手段も既に述べたように、本件発明において全然採用していないものであるから、本件発明において使用する亜硫酸アンモニウム溶液が、特に接触硫酸廃ガス中の亜硫酸から得られたために、他の亜硫酸から得られた亜硫酸アンモニウム溶液の場合と異る特種の技術手段を施して酸化し、硫酸アンモニウムを製造するものとなし得ない。従つて引用刊行物に「広く一般に亜硫酸から得られる亜硫酸アンモニウムを酸化して硫酸アンモニウムとする」ことが記載してある以上、特に原告主張のような記載がなくとも、技術上何等差支えなく、原告が引用刊行物に記載されていないという点、すなわち本件発明が右刊行物の記載と相違しているという点に、発明の差異を論ずる余地は全くない。
引用刊行物には、「硫酸の製造に供し得ない亜硫酸(諸廃ガスに含まれる亜硫酸を含む)を原料とし、これと水及びアンモニアとより亜硫酸アンモニウムを造り、これを空気又は酸素で酸化して硫酸アンモニウム溶液を得、次いで真空蒸発により硫酸アンモニウムを結晶化し、更に乾燥する方法」を記載し、次いで右の亜硫酸法硫安製造法を工業化した場合における利益について論及し、「接触硫酸との関連は、接触廃ガス中の亜硫酸の利用率向上に利用されると同時に、廃ガス除害問題が解決される。」と記載してある。そしてこの記載が、「接触法により硫酸を製造し、その際の廃ガス中の亜硫酸を原料として、前記の亜硫酸法による硫酸アンモニウム製造法すなわち、廃ガス中の亜硫酸をアンモニア及び水に吸収させて亜硫酸アンモニウム溶液とし、これを酸化して硫酸アンモニウムとする方法を実施すれば有利である。」ことを意味するものに外ならぬ。本件発明の要旨である技術思想は、右引用刊行物に明確に示されているものといわなければならない。
以上要するに、原告が主張する本件発明の効果は、何等特異のものでないばかりでなく、本件発明は、引用刊行物に記載されたものと表現が異るだけで技術思想としては、全く同一のもの、また右刊行物に記載され、本件出願前公知となつた事実から容易になし得るもので、特許法第一条に規定する特許要件を備えていないものである。
(四) 原告は、本件明細書中特許請求の範囲における「未酸化亜硫酸を水及びアンモニアにて吸収せしめ、亜硫酸アンモニウム溶液を得る」との記載(甲)は、明細書中実施例における記載から見て、「未酸化亜硫酸ガスをアンモニア及び亜硫酸を含む水溶液に吸収せしめ、この吸収後液を酸化に好適な組成に調整して亜硫酸アンモニウム溶液を得る」(乙)と解するのが当然で、このように解するときは、本件発明は、引用刊行場における記載の方法と明らかに区別ができ別異の発明となると主張するが、甲において「未酸化亜硫酸を水及びアンモニアにて吸収せしめ」とあるを、乙において「未酸化亜硫酸ガスをアンモニア及び亜硫酸を含む水溶液に吸収せしめ」とした点は、単なる字句の表現の差異に止まり、技術内容は全く均等であるばかりでなく、接触硫酸製造の廃ガスを吸収させて亜硫酸アンモニウム溶液を得るに当つて普通に行われるところである。また甲において「亜硫酸アンモニウム溶液を得る」とあるのを、乙において「この吸収後液を酸化に好適な組成に調成して亜硫酸アンモニウム溶液を得る」とした点は、当業技術者が必要に応じて任意になし得る単なる実施上の手段に止まるのみならず、亜硫酸アンモニウム溶液を酸化して硫酸アンモニウムを得る場合に行う普通の手段である。してみれば、乙が甲と異る点は、本件発明の構成要件に影響を及ぼすものではなく、従つて甲を乙と解したからといつて、発明の要旨が異る理はない。
更に乙の「溶液を酸化に好適な組成に調整して」という字句は、原明細書の何処にも記載されていないから、これを厳密に検討するときは、発明の要旨の変更となり、採用してはならないものとなる。本件明細書実施例中の記載は、単に溶液組成調整の一部を示すにすぎないので、これを以て、広汎な溶液組成の調整を意味するものとなし得ない。
第四証拠<省略>
理由
一、原告主張の請求原因一及び二の事実は、当事者間に争がない。
二、その成立に争のない甲第一号証(本件特許願)における明細書及び図面の記載全体に徴して判断すれば、原告の本件出願にかかる発明の要旨は、その特許請求の範囲に記載された「亜硫酸ガスを接触的に酸化して硫酸を製造する工程と、前工程における未酸化亜硫酸を水及びアンモニアにて吸収せしめ、亜硫酸アンモニウム溶液を得る工程と、該亜硫酸アンモニウム溶液を酸化して硫酸アンモニウムを製造する工程との結合を特徴とする亜硫酸ガスの処理法」であることが認められる。
原告は、右発明の要旨を、特許請求範囲の記載のみに膠着することなく明細書全体の記載を通じて判断すれば、「亜硫酸ガスを接触的に酸化して硫酸を製造する工程と、該工程における未酸化亜硫酸ガスをアンモニア及び亜硫酸を含む水溶液に吸収せしめ、この吸収後液を酸化に好適な組成に調整して亜硫酸アンモニウム溶液を得る工程と、該亜硫酸アンモニウム溶液を酸化して硫酸アンモニウムを製造する工程との結合を特徴とする亜硫酸ガスの処理法」と解釈すべきであると主張するが、後者の第二工程の前段における「未酸化亜硫酸ガスをアンモニア及び亜硫酸を含む水溶液に吸収せしめ」ることは、結局前者における「未酸化亜硫酸を水及びアンモニアにて吸収せしめ」ることを、やや正確に表現したに止まり、その実質において何等異るところがない。また後者の第二工程後段における「この吸収後液を酸化に好適な組成に調整して亜硫酸アンモニウムを得る」ことは、前認定したように第二工程に結合して行われる第三工程に酸化工程がある以上、この酸化工程に適切なように、前工程のものを調整することは、当然に予定されることであつて、これまた前記認定と同一の事項をやや詳細に表現したに止まり、その実質において何等の相違をも生ずるものではない。
してみれば、審決における本件発明の要旨の認定及び特許法第七十五条の規定が適用されなかつたことを非難する原告の主張は理由がない。
三、次にその成立に争のない乙第二号証の一、二、三によれば、審決が引用した「硫安技術」は、昭和二十三年二月二十五日硫安工業復興会議事務局が発行した刊行物でその第八頁には、
3亜硫酸法硫安製造(東工試法)に就て
日本水素小名浜工場 小峰鶴吉
東京工業試験所堀省一郎氏の亜硫酸法硫安製造の工業化に就いて説明する。
I 硫酸を用いない硫安
硫酸不足の独乙が石膏を原料として硫安を製造しているのに示唆されて、大正九年石膏法硫安製造研究に着手(中略)ある結果を得たが、石膏産出の尠い日本での工業化の無意義を悟り、研究方法を換えて、原料的に心配のない二酸化硫黄を先ずアムモニアと結合させ、次にこれを酸化して硫安を作る亜硫酸法の研究を初めた。
然し硫酸の原料たる硫黄、硫化鉱等は、先ず硫酸として一旦工業上利用した度出来れば硫安とすればよいのだから、硫酸にならない亜硫酸の給源に就き調査した所、(中略)如何に多くの硫安原料が無駄に、而も多額の煙害賠償(当時年三五万円)さえ添えて空気中に放出されていたかが判つた。
亜硫酸、アンモニア、水より亜硫酸アムモニアを造ることは、酸とアルカリの中和作業で比較的容易な事だから、稀薄な亜硫酸の吸収も可能で、若し亜硫酸アムモニアから硫安の製造が可能となり、日本全国の此の種の製錬瓦斯をこの目的に利用すれば、莫大な硫安が得られると共に、硫酸資源の節約と煙害除去の二問題が同時に解決出来る事となつた。(下略)
II 亜硫酸法(溶解法)
之は亜硫酸アムモニア水溶液を酸素又は空気で酸化して硫安水溶液を造る方法である。
(NH4)2SO3+1/2 O2=(NH4)2SO4
溶液中の亜硫酸アムモニアの酸化は、固体に於ける酸化に比較して反応の性質上自由に適当な酸化触媒を選んで反応を促進するが、完全媒液作業なる故、触溶の分離回収は容易で、固形触媒は瀘別により、溶解触媒は蒸発による硫安析出により、製品と分離する事が出来る。従つて硫安の強力製造を容易にし得る可能性がある。(中略)東京工業試験所の当法研究結果の概要(中略)により、硫安の飽和濃度に相当する亜硫酸アムモニア水溶液の酸化も、各種触媒を添加し之に酸素を吹込み、六〇度で酸化される処で一時間以内に完全酸化し得る事を推知し得たので、之を拡大工業実験に移す事となつた。
と記載され、またその第十一頁には、
V 硫酸法と亜硫酸法
塔式硫酸を原料とする両者を、工業規模設備運転の実際より比較すると、亜硫酸法は前者より三〇―三五%の建設資材の節約となる。(中略)以上より考えると、亜硫酸法は特に電解式アムモニア合成法工場では酸素が豊富の上蒸発罐よりの蒸溜水を電解に使える利点がある。硫酸工場との関連は、亜硫酸瓦斯洗滌冷却に硫酸を利用出来且飽和槽廃熱が蒸気用熱源に利用出来且又飽和槽廃気が蒸発用熱源に利用出来る。接触硫酸との関連は、接触瓦斯中の亜硫酸の利用率向上に利用されると同時に、廃瓦斯除害問題が解決される。
硫酸法との連繋で特に意義のあるのは、本法がアンモニア合成工場の運転作業に阻害される缺点を緩和出来る事である。
以上堀氏に代りその主張である「亜硫酸法の利用で、煙害による長年月の耕地侵害を肥料の供給に依つて賠罪出来る日の速かなるを切望する」事を述べる次第である。
と記載されていることが認められる。
以上の記載を綜合してみると、亜硫酸を原料として、これを水及びアンモニアに吸収せしめ、亜硫酸アンモニウム溶液を造り、これを空気又は酸素で酸化して、硫酸アンモニウムを製造する、いわゆる亜硫酸法による硫安の製造において、これが原料として、硫酸にならない稀薄な亜硫酸(廃ガス等の)を用いて、工業化すれば有利で、ことに接触硫酸の製造に関連して、その廃ガス中の未酸化亜硫酸を利用すれば、その利用率の向上、すなわち強力生産に役立つと同時に、廃ガスによる煙害の除去問題も解決されること、換言すれば、接触硫酸製造の際の廃ガス中の未酸化亜硫酸を水及びアンモニアに吸収せしめ、亜硫酸アンモニウム溶液を造り、これを酸化して、硫酸アンモニウムを製造する亜硫酸ガスの処理法が原告の本件出願前に公知であつたものと認定するのが相当である。
四、よつて原告の本件出願の発明と右公知のものとを比較してみると、両者は接触硫酸を製造する際の未酸化亜硫酸を水及びアンモニアに吸収せしめて、亜硫酸アンモニウム溶液を得これを酸化して硫酸アンモニウムを製造する亜硫酸ガスの処理法であるという原理的な思想において一致し、ただ前者は各工程の結合を特徴とするというのに対し、後者はかかる記載がないだけである。
しかしながら、先に認定した刊行物中、「V硫酸法及び亜硫酸法の項」に記載された「接触硫酸との関連は、」の文言は、その直前に記載された亜硫酸法による硫安の製造法を承けたものであるから、その意味は、「亜硫酸法による硫安の製造を接触硫酸の製造の際の未酸化亜硫酸と結合して行えば」と解することができる。してみれば、前述の記載の相違も、両者を実質的に区別するに足りるものではなく、またすでにその方法において、両者が実質的に相違しない以上、本件発明による効果も、右公知の方法を行う場合に、当然予想されるところであるといわなければならない。
本件発明は、つまるところ、審決が引用した公知の事実から、当業者の容易に推考し得るところのもので、特許法にいう発明を構成するに至らないものと解するを相当といわなければならない。
五、原告は、更に本件発明の第二工程における未酸化亜硫酸を水及びアンモニアに吸収せしめた亜硫酸アンモニア溶液には、特殊形態の三酸化硫黄を含有し、酸性度も高く、酸化には極めて不都合なものであるから、これが酸化され易いように、溶液の組成を調整する必要があり、その点に工夫を凝らし、本件発明に到達したもので、引用例から容易に実施し得るものでないと主張するが、原告の明細書の全文を通じてみても、原告の発明が如何なる手段によつて、この三酸化硫黄に対して、次工程の酸化に適するように処置したかについては何等記載するところがない。原告は第二工程について明細書の記載は、「未酸化亜硫酸ガスをアンモニア及び亜硫酸を含む水溶液に吸収せしめ、この吸収後液を酸化に好適な組成に調整して亜硫酸アンモニウム溶液を得る工程」と解釈すべきであると主張するが、この「酸化に好適な組成に調整」することは、先に認定したように、次の酸化工程を実施する上に当然行うべき一般的考慮を、抽象的に表現したに止まり、これによつては、亜硫酸アンモニウム溶液中の三酸化硫黄に対する特別の処置の内容は、全然これを知り得ないものといわなければならない。
してみれば、右の第二工程における亜硫酸アンモニウム溶液中の三酸化硫黄に対する特別の処置法は、本件発明の要旨をなすものとは解することができないから、原告の右の主張も、前記判定を覆えす資料となすことはできない。
六、以上の理由により、審決が、本件発明は、その引用の刊行物の記載から、当業者が容易になし得る程度のもので、特許要件を具備しないとしたのは相当で、審決には原告主張のような違法な点はないからこれが取消を求める原告の本訴請求はその理由がなく、棄却を免れない。
よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文のように判決した。
(裁判官 原増司 尾後貫荘太郎 高井常太郎)